使えるかな?写真集

2012.7.8.


 ここでご紹介する写真は、モノ教材ではなく、社会科に関係する風景写真や、話のタネ程度の写真です。
 というと、当然史跡や寺社仏閣の写真を入れるべきところですが、それではあまり面白くないし、資料集や写真集にたくさん掲載されています。ここでは、資料集にはあまり載りそうにない(載っても小さい)ものを選んでみたいと思います。

 なお、このページにある写真はサムネイルです。クリックすると、サイズの大きな写真にリンクしますので、ご自由にお持ち帰りください。果たして授業で使えるかどうかは、タイトルの通りビミョーですが…。

 容量節約のため、大きな写真の大半を外部へ移しました。ダウンロード方法は同じです。


029 今井町寺内町(1)

 寺内町今井町に保存されている堀。町の西端。
 上が内側、下が外側の堀。かつてはさらに外側にも堀があったという。

030 今井町寺内町(2)

 今西家住宅前の道。
 あえて道を鍵型に曲げているのが確認できる。

031 今井町寺内町(3)

 今井町の惣年寄三家である今西(もと川井)・今井(河瀬)・上田家のうち上田家に保存されている惣年寄の旗。江戸時代、江戸や大坂など重要な都市には一定の自治が認められていた。江戸では「町年寄」だが、大坂・平野・今井など西国の多くの町では「惣年寄」であった。黄の枠に「惣年寄」の文字が確認できる。

 

027 法隆寺と修復(1)

 五重塔に残る修復の跡。
 相輪の基部には徳川の家紋(三つ葉葵)がある。元禄の修復の印であり、徳川綱吉や母の桂昌院が(男子誕生を願って)所々の寺社を修復した一例になる。
 また最下層の屋根と裳階の間に補強の柱と彫刻がある。この類のものは、五重塔の最上層の下にもあるし、金堂にもある。こちらは慶長期(秀頼による)のものという説があり、大坂の陣へつながる。

028 法隆寺と修復(2)

 法隆寺西院伽藍の大講堂前にある銅燈籠。こちらはもっとわかりやすく、徳川家の三つ葉葵と、桂昌院の実家である本庄家の家紋がついている。また、修理についての銘文もあり、「元禄」「桂昌院」という文字が見える。

 

026 近鉄奈良駅前の行基さん噴水

 奈良における代表的な待ち合わせ場所として有名。

 高齢で温和な行基さんは、大仏造営に協力した時の姿ではと思わせます。


024 信長に埋められた石仏(1)

 織田信長が足利義昭のために二条城を作らせた時(1569)、その石垣のために石仏を集めて埋めたとされています。それが京都の地下鉄の工事のさいに発見されました。それが移されて保存されているのが、ここ京都市西京区の洛西竹林公園です。

 現地は起伏があり1枚の写真には入りません。右下→左下→左上→右上→右下と巡れるようになっています。

025 信長に埋められた石仏(2)

 大小さまざまな石仏は、数えたところちょうど200体。一応原型をとどめているもの(写真奥)もあれば、ただの石材であるかのように「破壊」されているもの(手前)もあります。

 ほかにも、五輪塔や墓碑、礎石も多数あり、良い石なら何でも集めたのかと言いたくなりました。

 

018 東京駅内 原敬首相遭難現場

 丸の内南口です。写真正面の消火栓の上に解説板が、下のタイルの1枚が「現場」の表示です。詳しい説明は下の写真019をご参照ください。

(ただし撮影は2007年12月ですので、現在は様子が変わっているかもしれません)

019 東京駅内 原敬首相遭難現場説明板

 

020 東京駅内 原敬首相遭難現場プレート

021 東京駅内 浜口雄幸首相遭難現場

 こちらは駅の中。中央通路のあたりです。階段を上がったところが新幹線。写真左の円柱に解説板が、下のタイルの1枚が「現場」の表示です。詳しい説明は下の写真022をご参照ください。

(ただし撮影は2007年12月ですので、現在は様子が変わっているかもしれません)

022 東京駅内 浜口雄幸首相遭難現場説明板

023 東京駅内 浜口雄幸首相遭難現場プレート

 


017 園城寺黄不動

 三井寺(園城寺)の黄不動は、平安初期文化の美術を代表するもので、名称はよく知られていますが、教科書などに図版はほとんど(全く?)のっていません。これは、この仏画が秘仏中の秘仏であり、印刷出版することに厳しい制約があるからです。
 昨年(2008年)、大阪で三井寺展があり、そのために展覧会のポスターにこの秘仏の写真がのりました。潜在一隅のチャンスからもしれないと思い、写真に撮りました。


015 西本願寺唐門

 京都西本願寺にある国宝、西本願寺唐門。伏見城の遺構とされているものの一つ。西本願寺の外側に向いているので無料で見れるのが嬉しい(かも)。

016 西本願寺唐門(拡大)

 上の写真の部分拡大。後世の補修を受けているとはいえ、彫刻・彩色・金箔などに桃山文化らしさを見ることができます。麒麟・鳳凰・唐獅子などが確認できます。


013 紀尾井坂

 東京都千代田区。有名な紀尾井坂の変(大久保利通暗殺)があった場所。名前の由来(紀伊・尾張・井伊)も面白い。この写真の奥は岩倉が襲われた喰違見附。反対側左下の続きに清水谷公園には哀悼碑があります。

014 VOCロゴ入り陶磁器

 VOCはオランダ東インド会社。江戸時代、日本との貿易を欧州において独占していたオランダは大きな利益を得ていました。陶磁器もその一つです。これはハウスタンボスのお土産やさんの店頭にあったもの。しっかりロゴも入っています。購入は…価格より重そうなので見送りました。


011 冷害の被害を受けた稲穂

 1993年の冷害(作況指数74)の際、譲っていただいた稲穂です。上段が穂の拡大、下が全体です。モミが入っていないものが多いことが分かります。

 下の通常時のものと比較していただければ、冷害の深刻さが伝わると思います。

012 通常の稲穂との比較

 上段は、通常の状態(92年)の稲穂の拡大、下段は冷害時のものとの比較です。丈が全く違うのが分かっていただけると思います。両者は、田植えの時には全く同じ大きさ・本数(1株)とのことです。


009 石山本願寺推定地

 戦国時代、全国の一向一揆の"総本山"だった石山本願寺。織田信長との10年にわたる石山合戦は歴史の大きな分岐点でした。大阪城公園の一隅にぽつんと立っています。

 掲示板の拡大写真は>コチラ

 

010 神戸旧外国人居留地

 幕末の開国のさい、幕府は条約により外国人の内地通行を制限することに成功しました。そのために作ったのが外国人居留地で、神戸はこのために作られた人工都市。整然とした区画は今も残っていますし、当時の区画を表示するレンガ造の標柱がいくつか現存しています。写真は、アラビア数字表記の68番街と、漢数字表記の124番街のものです。


007 渡辺崋山の墓

 渡辺崋山は、三河国の田原藩の家老であり、蘭学者であり、著名な画家でもありました。高野長英らと共に蛮社の獄で罪に問われ、国元田原での蟄居に処されましたが、やがて切腹しました。
 彼の墓は、城宝寺にあります。家族の墓に囲まれるように、静かに立っています。

008 下野野薬師寺跡

 日本三戒壇の1つ(あとの2つは東大寺と筑紫観世音寺)であったことは、鑑真の来朝との関連で説明することもあるかもしれませんが、それよりも、弓削道鏡の左遷の地としてよく知られています。

 寺跡は発掘調査が進んでいます。回廊の一部が復元されています。。


005 水戸黄門一行の銅像(JR水戸駅前)

 ご存じのように、水戸黄門(水戸光圀)は実在ですが、諸国漫遊はしていません。"副将軍"という役職はありません。また封建時代に、"葵の御紋"が(徳川領以外で)どの程度通用したのかも疑わしいです。

 こういったことは、逆に教材になる話題でもあります。何と言っても著名度はナンバーワンですから。

006 東大寺南大門の"ない"天井

 鎌倉文化の建築様式の一つ、大仏様の例として、必ず取り上げられるのが東大寺南大門です。簡素な様式で、写真集などには「天井がない」と書かれていますが、そのわりに、天井を写した写真はのっていません。

 そこで、現地で上を向いて撮影してみました。

 写真更新しました 2008.11.30.


003 銀座役所跡

 東京の地名「銀座」が、江戸時代の貨幣鋳造所の「銀座」から来ていることは、社会科教員としてはまあ常識の部類かと思います。東京の方にとっては銀座はふつうの地名でしょうが、よそ者にとっては立派な「歴史的地名」。

 …というわけで、記念の碑があると聞いて、東京旅行の際に立ち寄ってみました。いえ、決してアップルストアのついでではありません(^^;

004 染井吉野の碑(巣鴨駅すぐ)

 古代から日本人に愛された(?)花の一つがサクラです。

 ご存じの方もおられるでしょうが、現在ふつうに見られるサクラはほとんどが「染井吉野(ソメイヨシノ)」という種類で、江戸時代に江戸の業者によって品種改良されたものです。古代や中世に歌などに詠まれたサクラとは色も雰囲気も開花時期もまったく異なります。そういうことを知るのも、伝統や文化を学ぶ上で大切だと思います。


001 お台場(第三台場史跡公園)

 フジテレビから撮影したものです。奥に見えているのが、レインボーブリッジへ続く高速11号で、"ゆりかもめ"が走っています。

 お台場は、ペリーの1回目の来航を受けて、江戸湾の防衛のために突貫工事で築かれたものです。この第3台場は砲台でした。

002 時間30ミリの雨

 2004年の5月頃だったと思います。たいへんな土砂降りの日だったので、降水量(雨量)の話のタネにしょうと、雨の中にビーカーを放置しておき、雨をためてみました。

 雨量の"ミリ"は、もちろん高さ(mm)なのですが、生徒の中には水量(ml)と勘違いしている者が、多分います。気候の授業の導入にいかがですか?


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