世界史の授業と国旗4 キリスト教の十字/イスラムの月と星

  1. 国旗の十字架は、キリスト教国であることを示す。十字軍遠征が契機となって広まった。十字軍は11世紀末〜13世紀に行われたキリスト教拡大戦争。よく知られているのは、セルジュク=トルコに対するイェルサレム奪回を掲げた東方十字軍だが、北欧でも北方十字軍が実施されている。
  2. 北欧以外で十字架を国旗に取り入れている国は、ギリシアスイス・ドミニカなど。ギリシアの場合は、1822年、イスラムのトルコの支配からの独立戦争中に決定されたもので、青は空、白は海の泡をあらわすという。
  3. 国旗ではないが、国際赤十字の旗にも十字がデザインされている。これは、国際赤十字を提唱したのがスイスのアンリ・デュナンであり、またスイス国がその中心となったことから、その功績をたたえ、1863年にスイスの国旗の色を反転させたものを旗とした。宗教性はないとされている。
  4. しかしイスラム諸国はこの旗を嫌い、1876年にトルコの提案で別の旗として赤新月を作った。赤十字加盟178ヵ国のうち30ヵ国がこちらを使用している。新月=三日月はイスラムのシンボル。
  5. 国旗に三日月と月をデザインしているのは、トルコ、アルジェリア、チュニジア、シンガポール、マレーシアなどのイスラム国である。これらのもとになったのは、トルコの旗。
  6. オスマン=トルコは、15〜19世紀にかけて強大だったイスラム国家で、領土は北アフリカから東ヨーロッパ・エジプト・メソポタミアにおよんだ。またヨーロッパをも圧迫し、1453年にはコンスタンティノープルを占領してビザンツ帝国を滅ぼし、1529年と1683年の2度にわたってオーストリアの首都ウィーンを包囲している。
  7. 実は三日月は、実はこのコンスタンティノープルの紋章だった。トルコは、この町をイスタンブルと改名して首都とし、その紋章を国旗に採用した。1798年からは、教典『コーラン』に出てくる「アル・タルクの暁の星」が加えられ、現在の国旗になった。
  8. では、なぜ三日月がコンスタンティノープルの紋章になったのかというと、この町がまだビザンチオンと呼ばれていた古代、B.C.340年に、強国マケドニアの包囲攻撃を受けた。マケドニアは夜に城壁の下にトンネルを掘り始めたが、三日月が明るかったために発見され、町は救われた。以後、彼らは三日月を自分たちの町の印に、月の女神ダイアナを守護神としたという。
  9. 1683年の第二次ウィーン包囲を撃退したオーストリアは、これを記念して、敵国トルコの国旗の三日月をまねて三日月型のパンをつくったという。これがのちフランスに伝えられてクロワッサンとなった。


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