世界史の授業と国旗6 イスラムとアラブ民族主義
- 一般に、国旗でイスラム教を表すのは緑と言われている。サウジアラビアがその典型例である。さらに、この国旗にはアラビア文字が書かれており、それは「ラーイラーハイッラッラー (アッラーのほかに神なし)」「ムハンマドンラスールッラー(ムハンマドは神の使い)」というイスラムの信仰告白の言葉で、当然ウラも逆にならないようにしてある。
- 一方、イスラム国でありアラブ国家なのに、エジプトのように緑を使っていない国もある。
- 実はこのエジプトを含め、同じアラブ国家のイエメン・シリア・イラク・スーダン・ヨルダン・パレスチナといった国は、デザインが非常に似ており、色も緑・黒・白・赤から選ばれている。この4色は、アラブとイスラムの色とされている。
- その起源は、ムハンマドの時代にさかのぼる。彼は戦い(ジハード)の時には黒い旗を使った。伝説によるとそれは彼の妻のテントの入り口にかかっていたカーテンを使ったのだ、という。
- その後、ムハンマドの後継者たちはそれぞれ違う色の旗を目印にした。ファーティマ家はムハンマドのコートの色だった緑、アッバース家はムハンマドと同じ黒、ウマイヤ家はムハンマドのターバンの色だった白、ハワーリージュ家は上の3家に対抗して赤を選んだ。ウマイヤ家は7〜8世紀、アッバース家は8〜10世紀、ファーティマ家は10〜12世紀にイスラム世界の中心となった歴史があり、ハワーリージュ家はアラビア半島東部を支配していた。
- 逆に、アラブの国旗には青がないのだが、そのアラブ諸国に囲まれながら、あえて青と白の国旗を使っているのが、1948年建国以来、周囲のアラブ諸国と対立を続けているユダヤ国家イスラエルである。国旗の中央の星は、古代イスラエルのダビデ王の盾の紋章で、「ダビデの星」ともいう。白地に青の二本線は、ユダヤ教の祈祷者の肩掛けである、という。
- アラブ民族は、異民族であるオスマン・トルコによる約400年の支配を受け、さらに第一次世界大戦後はイギリス・フランスによって分割支配をされた。このため、民族運動が高まりって徐々に独立を獲得していくが、多くの国家に分裂してしまった。
- 第1次中東戦争以後、アラブ諸国は反イスラエルで結束。1954年に就任したエジプトのナセル大統領は、スエズ運河国有化を宣言。これによって起こった第2次中東戦争で英仏を撤兵に追い込んだことから、アラブにおけるナセルへの支持が高まる。
- 1958年に、エジプトとシリアが統合してアラブ連合共和国となった。この時の国旗が、赤・白・黒の横三色旗に緑の星2つ(現在のシリア国旗と同じ)であった。
- 1961年にシリアは連合から離脱し、国旗は統合前のものに変更したが、(旧)エジプトは、国名も国旗も変更しなかった。
- 1963年に、シリア・イラクとエジプトの三国でアラブ連合共和国連邦の結成を宣言し、新国旗(緑の星が3つ=旧イラク国旗と同じ)を発表した。シリア・イラクは国旗を変更したが、連合は不成立に終わる。
- 1967年の第3次中東戦争で、エジプトはシナイ半島、シリアはゴラン高原を失う。1970年にはナセルが死去、新大統領サダトは。1971年にエジプト・シリア・リビア三国で、アラブ共和国連邦を成立させ、新国旗(中央にワシの紋章=現在のエジプト国旗)に統一。
- 1973年の第4次中東戦争で失地回復に失敗したサダトは、1977年に突然敵国イスラエルを訪問。リビアはこれに強く抗議し、一夜にして国旗を現在のもの(緑一色)に変更。
- 1979年にエジプトはイスラエルと和平、82年にシナイ半島は返還されたが、以後エジプトはアラブから孤立する。サダトは1981年に暗殺される。
- シリアは現国旗に変更(図案はアラブ連合共和国時代のもの)。イラクはアラブ連合共和国連邦時代の国旗を使い続け、軍事的にもアラブ世界の主力国となった。