世界史の授業と国旗11 アフリカへの支配と抵抗
- エチオピアの建国伝説は、『旧約聖書』に登場する。イスラエルのソロモン王と、アラビア半島南部のシバの女王との間に生まれたメネリク1世<B.C.1000年頃>が先祖であるという。実際には、B.C.7世紀にアラビアからアフリカに渡ったアクスム人が起源と考えられている。エチオピア国旗の3色(緑・黄・赤)については、やはり『旧約聖書』のノアの箱舟伝説に出てくる虹の色という説がある。現在でもキリスト教徒が多い。1996年、中央にソロモンの封印と呼ばれる紋章が加わった。
- かつて、アフリカ各地で黒人王国が栄えていた。これらのうち、東部のモノモタパ王国は、現在のジンバブエを中心に金と貿易で繁栄していた。ジンバブエの意味は「石の家」。巨大な石造遺跡が発見されている。ジンバブエ国旗の紋章は「ジンバブエの鳥」と呼ばれる、この遺跡の神柱の彫刻による。
- 15世紀末以後、まずポルトガルがアフリカ沿岸に来航。やがてイギリス・フランス・スペイン・オランダなどが進出し、香辛料・金・象牙・奴隷などが輸出される。 最初、ヨーロッパとアフリカは友好的・対等な関係で貿易が行われたが、武力にまさるヨーロッパがしだいに支配を強めた。19世紀後半には、ヨーロッパによるアフリカ分割が急速に進行。各地で先住民は抵抗したが、いずれも鎮圧された。
- ついで、ヨーロッパどおしの対立も生じた。その一つが、南アフリカ問題である。この地はケープ植民地と呼ばれ、もとはオランダ領であったが、1815年にイギリス領となり、オランダ系住民=ブール人は奥地へ移住、オレンジ自由国・トランスヴァール共和国を建国した。ところが、オレンジ自由国から金鉱、トランスヴァール共和国からダイヤモンド鉱山が発見されると、イギリスがこれに侵攻してブール戦争<1899〜1902>が起こった。戦争はイギリスが勝利し、南アフリカ連邦が成立した<1910>が、ブール人の不満をそらすため、露骨な白人優遇政策がとられた。これが、のちのアパルトヘイトへとつながっていく。
- この時の植民地首相が、セシル・ローズである。彼は、「我々は世界第一等の人種であり、我々の住む世界が広がれば広がる ほど人類にとって幸福だ」と明言する典型的な帝国主義者である。現在のジンバブエは、植民地時代は彼の名を取って「ローデシア」と呼ばれた。
- 南アフリカの旧国旗は、 全体がオランダ国旗で、その中にイギリス・オレンジ自由国・トランスヴァール共和国の国旗が並んでいるデザインだった。20世紀末にアパルトヘイトが廃止され、1994年に新国旗になった。黒は黒人、白は白人を、赤は黒人解放の戦いで流された血を表す。
- エチオピアは、一時期をのぞいて独立を維持した。背景にはヨーロッパどおしの対立がある。1895年にイタリアが侵攻するが、フランスの援助でこれを撃退した。1936年にはイタリアによる占領を受けたが、国民はゲリラ戦で抵抗し、1940年には国民の大反乱とイギリスの援助でイタリアを敗退させた。
- アフリカ中南部には緑・黄・赤の3色を使う国旗が多い。48国のうち16か国、全体の3分の1におよぶ。これは、上記のようにエチオピアが植民地になららず独立を維持したことに敬意を表し、第二次世界大戦後に独立した国の多くがそのエチオピアの国旗の色を採用したことによる。
- アフリカで独立を守ったもう一つの国が、リベリアである。リベリアの国旗は、赤白の帯は11本で独立宣言にサインした11人を示し、一つの星はこの国が唯一の黒人独立国であったことを示す。この国は、アメリカが解放した奴隷を移住させるために建設<1822〜>した国なので、そのため星条旗に似ている。ただし、アメリカはもっと似たデザインを希望していた。独立は1847年。国名は「自由の国」の意味。ただし、現在でもアメリカ系住民は5%にすぎず、ほとんどは先住民である。