団茶(沱茶)と古代・中世の喫茶

 茶は、日本文化を学ぶ上で非常に重要で、身近な問題です。また世界史に通じる素材でもあり、色々な角度からのアプローチがあるでしょう。
 今回は、いわゆる「茶の湯」についてではなく、その前史としての「古代・中世の茶」について、まとめてみました。まだ実際の授業では使っていませんが、余裕があれば触れてみたいと思っています。
 ※実はこの話題は、97年に勤務校で実施した学校開放講座(一般の方向け)の内容です。

 これは、同僚からもらった「雲南沱茶です。お茶を固めたもので、大きさはちょうど片手に収まるくらい、形はお椀のようです。
 お茶は、現在では茶の葉がバラバラの状態が普通ですが、かつてはこの「沱茶」のような固形茶(団茶)が主流でした。
 もっとも、この茶はプーアル(普耳)茶ですが。

 中世の文化で、「茶は鎌倉初期の僧栄西によって伝えられた。」と説明するわけですが、「栄西以前には日本に茶はなかった」と言うなら、それは誤りです。
 確かな記録としては、嵯峨天皇の近江行幸の際、崇福寺の永忠が天皇に茶を献じたとあるのが最も古いものです(『日本後紀』弘仁6年4月22日)。史料の信用性はやや乏しいものの、これ以前にも茶が日本に存在していたという伝もあります(最も古いものは聖武朝)。おそらく遣唐使によって招来されたのでしょう。
 ただその後、茶の栽培も喫茶の風習もすたれてしまったようです。ですから、栄西は喫茶を「再興」した人物ということになります。

 ところで、茶は一種の薬として飲まれていたことはご存知の通りです。
 上述の栄西ですが、彼は二日酔いに悩む源実朝に茶を勧め、その歓心を得たそうです。臨済宗は権力と結んで力を伸ばしていくわけですが、そのことと茶に幾ばくかの関係があるというのは、話題としては面白いでしょう。
 また、茶の薬効とはどんなものでしょう。栄西の『喫茶養生記』によると、「酒を醒まし、人をして眠らざらしむ」「小便を利し、睡を少なうし、疾渇を去り、宿食(便秘)を消す」「身を軽くし、骨を換う」などとあります。利尿・排便作用、覚醒効果といったところでしょうか。
 なお、説話集『沙石集』に、茶の効用をめぐっての笑い話があります。引用しておきますので、こちらをクリックしてお読みください。少々下ネタが含まれますが、教室での余談くらいにはなりますよ。



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『沙石集』(拾遺72)

或牛飼、僧の茶のむ所にのぞみて云はく、
 
牛飼「あれは、いかなる御薬にて候やらん。己らがたまはる事は、
    かなふまじく候にや」
と云ふ。
 
「是は三の徳ある薬なり。やすきことなり。取らせん」
といふ。
 
「その徳といふは、一には、坐禅の時のねぶらるるが、是をのみつれば、
   通夜ねられず。一には、食にあける時服すれば、食消して身かろく、
   心あきらかなり。一には、不発になる薬也」
といふ時、
 
牛飼「さてはえ給はり候はじ。昼は終日に宮仕候て、夜こそ足もふみのべて
    臥せ候へ。ねぶられざらん、術なく候べし。またわづかに食べ候少飯
    が消し候はば、ひだるさをば、いかがし候べき。また不発になり候なば、
    女童部が側へもせ候べくはこそ、すかして衣物ばしも、すすがせ候はめん」
と云ふ。
 是一つ事の、人によりて徳失有る事なり。 (以下略)

(岩波日本古典文学大系より引用。改行・用字など、一部を読みやすいように改めた。)

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