地券PART2
2002.9.11. 追加2004.08.08.


 今年もまた、東京へ出た時には神保町のアベノスタンプを訪ねました。今年購入したのは、前回ご紹介した軍票と、今回ご紹介する地券です。

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 この地券は、廃藩置県のようすが現れている面白い資料です。関西なら特に興味を引けるでしょう。
 うまく使えば、「考える」「調べる」教育に活かせる、かもしれません。


 この地券が発行されたのはいつか。

 最も素直に考えれば、冒頭(1)に朱印されている明治8年だろうが、たぶん違う。
 まず、真ん中辺りの地租の率・額のところ(2)がおかしい。ご存じのように、地租が3%から2.5%に減額されたのは明治10年(1月4日)だから、もしこの地券が明治8年に発行されていたなら、地租は最初は3%で計算され、明治10年になって2.5%に変更された旨が追記されるはずだ。
 ところが(2)を見ると、3%(百分ノ三)の行も2.5%(百分ノ二ヶ半)の行も、筆跡が変わらない。しかも、縦罫線の間に均等に2行で書かれている。これは、あとから追記したのではなく、2行書くことがあらかじめわかっていた、つまりある時点で2行同時に書いたとしか考えられない(以前にご紹介した宮城県の地券と比べれば違いは明か)。
 つまり、この地券が書かれたのは明治10年以後ということになる。

 もう一つ、ポイントは堺県(3)のこと。
 もちろん現存しない県だが、一時期置かれていた。廃藩置県直後は、江戸時代の藩など土地支配が細分化されていたので、非常に多くの細かい県に分けられ、それが統合していったのだが、堺県はその過程でできた、じつは巨大な県である。
 ざっと流れを書くと、現在の大阪府の北半分は明治4年11月20日に「大阪府」に統合され、同月22日には大阪府の南半分が「堺県」に統合される。そのあと、明治9年4月18日になって(なんと)堺県は奈良県全域を吸収合併してしまい、さらに明治14年2月7日にはその堺県を大阪府が吸収合併する。つまり、この時期は現在の大阪府+奈良県が「大阪府」だったことになる。
 もっとも、さすがにこれは大きすぎたと見え、明治20年になって奈良県が分離、現在に至っている。
 この地券は、最初堺県が発行したが、堺県が廃止されて大阪府になったために、堺県の朱印には「消」つまり取り消しが押され(4)、新たに大阪府(5)が朱印を押している(6)
 その堺県がなぜか発行した年月日が書かれていない(7)。理由は分からない。

 さらに、そもそもこの地券の土地の場所はどこか。(8)にあるように、「大和国高市郡清水谷村」である。これは現在の奈良県高市郡高取町大字清水谷、壺阪寺の近くである。
 奈良県が「堺県」であった時期は限定されている。上で見たように、明治9年〜明治14年の間だけだ。
 それと、上の地租変更のことを考え合わせれば、この地券が発行されたのは明治10年1月4日以降、14年2月7日より前、ということになる


 とまあ、こんなふうに推理してみました。当たらずとも遠からずといった感じでしょうか。

 気になるのは(9)です。ここは、大阪府がこの土地の調査を終えた年月日だと思うのですが、年号が「明治五年」のように見えます。しかし、明治五年はありえません。「十五」にしては変だし、謎です。


追加 2004.08.08

 この地券の読み方について、掲示板にて、ちけんまにあさんよりご教示を受けました。ありがとうございました。とても勉強になりました。
 ちけんまにあさんのOKをいただきましたので、その時の掲示板でのやりとりを下に引用します。お読みください。

DATE: 6月26日(土)18時55分3秒
TITLE: NO.27地券2
NAME: ちけんまにあ MAIL:

明治10年までに大蔵省紙幣寮が青い色の地券を1億枚印刷して府県に配布している。その後は大蔵省印刷局がセピア色の地券を印刷している。明治8年の朱印は記入様式の改正された年。堺県の時代に配布された用紙を大阪府の時代に交付している。堺県の朱印は消印がおしてある。阪神北側地下道の古本屋で地券を見かけた。50枚25000円だったので買いませんでした。1枚だけ売ってもらえなかった。

 

DATE: 7月 5日(月)17時04分48秒
TITLE: ちけんまにあさんへ
NAME: 管理人 MAIL:

 ご指摘ありがとうございます。


> 明治10年までに大蔵省紙幣寮が青い色の地券を1億枚印刷して府県に配布している。
> その後は大蔵省印刷局がセピア色の地券を印刷している。
> 明治8年の朱印は記入様式の改正された年。


 紙と印刷が違うわけですね。知りませんでした。すると、この地券の紙は明治10年以前の用紙ということになりますね。
 また、「明治八年改正」の印の意味も分かりました。地租の「改正」ではなく、記入様式の「改正」でしたか。


> 堺県の時代に配布された用紙を大阪府の時代に交付している。
> 堺県の朱印は消印がおしてある。


 上でおっしゃっておられる色のことと合わせると、「堺県」の文字も印も、紙を配布された時に記入したものである=この地券を堺県が「発行」したわけではないということですね。だから、(7)の日付が空欄なのである、という。
 納得しました。ありがとうございます。
 ということは、この地券が発行されたのは、堺県が大阪府に吸収された14年2月7日より後であり、(場所が現在の奈良県であることから)奈良県が独立した明治20年より前、というわけですね。
 すると、(9)の年号は、やはり「明治15年」としか考えられませんね。

 

 

 


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