紙幣(5)2005.02.13.



 以前に「ちょっと前の紙幣の肖像」として、岩倉具視や伊藤博文をここでご紹介しましたが、早くも新しいデザインに変更されてしまいました。

 変更の理由は偽造防止ということですが、それを裏付けるかのように、今年(2005年)には偽札事件が急増し、大きな社会問題となりました。さらに財務省は、しばらく併行発行するはずだった旧紙幣の印刷を打ち切りました。
  実際、ここ最近は旧紙幣を見かけることが急に減りました。これを書いているのは2月中旬ですが、五千円札はかなり珍しくなっています。

 前回同様、これら旧札には教材価値が色々とあります。前回の改正の時には"聖徳太子"を確保できなかったという反省もあり、急いで保存確保することにしました。

 あと、ついでと言っては何ですが、すでに忘れ去られているのではないかという気がするあの二千円札も一緒にupしておきます。こちらも教材価値が高いです。


旧紙幣(2004年11月改正前)の肖像〜明治の文化人〜

  

 夏目漱石

 言わずとしれた明治の文豪。「坊ちゃん」や「こころ」は高校の国語の授業で扱うことが多く、「我が輩は猫である」を知らない生徒でも知っていたりします。
 その「こころ」には、明治天皇が没して明治が終わった時の描写があり、世相を示す史料として時折引用されます(大学入試センター試験に出題されたこともあったと記憶しています)。乃木希典夫妻の殉死も絡めて、授業で使える話題だと思います。
 ついでに「吾輩は猫である」 ですが、ここにも近代文化のネタが見つかります。主人公?の先生は胃弱で、服用している薬の名前が「タカジアスターゼ」で、「タカ」はアドレナリン有名な高峰譲吉のことです。先生のところに出入りする若者たちは漱石の実際の弟子達をモデルにしており、その一人で「首くくりの力学」の"寒月"君は、著名な科学者である寺田寅彦がモデルです。

 漱石は官費留学生としてイギリスに渡り、そこで精神を病んでしまいます。この経歴自体が、西洋文化を国を挙げて受容しようとした明治維新の状況を表していますし、漱石が帰国後に東京帝国大学に赴任するに際して、追い出される("お雇い外国人"の解雇)形になったのがあの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)であることも、偶然ですが話のタネになります。

新渡戸稲造

 お札になって注目されたのが新渡戸稲造です。私もあまり詳しく知りませんでした。

 彼については、直接的に教材になる話題は少ないと思います。著書『武士道』を英語で著したこと、トム・クルーズはこの『武士道』に影響を受けて映画「ラストサムライ」を作ったと言われていること、東大では植民地政策を講義していたこと、国際連盟事務局次長としてジュネーブに駐在(1920〜26)した国際人であったこと、それを象徴するように紙幣の表面には太平洋中心の地球儀が書かれていること、偽造防止も兼ねて?その地球儀には小さくハワイ島がちゃんと描かれていること、軍隊を批判したために官憲に睨まれたこと、といったあたりでしょうか。

福沢諭吉

 それこそ言わずとしれた明治の文化人。慶應義塾の創設は幕末の蘭学の隆盛や近代の教育制度の一例になります。

 また『学問のスゝメ』は、それこそ超がつく重要語句ですが、有名な冒頭部分「天は人の上に人を作らず」の開明性を紹介するだけでなく、そのあとに続く部分も紹介して、福沢の考え方の強烈な能力主義にも触れたいところです。それは多分、日清戦争期における「脱亜論」につながっていくのではないかと思います。

 また、これは帝国憲法や議会のところの話題ですが。
 福沢は議員になりたくなかったのですが、当時は立候補制ではなかったため、超有名人の彼は放っておくと当選してしまうので、新聞に「私に投票しないで」という主旨の告知を掲載してもらった、という話を聞いたことがあります。

 


幻?の二千円札


 懐かしいですね。当時の小渕内閣が、沖縄サミットを機に発行させた紙幣です。表面に沖縄の守礼門がデザインされているのはそのためです。
 守礼門は、首里城第二の坊門で、創建は、琉球国尚清王(位1527〜55)の時代で、薩摩に侵略された尚寧王の2代前になります。昭和8年に国宝に指定されたが、沖縄戦で焼失しています。現在のものは、昭和33年の復元です。

  

 ウラは源氏物語誕生ほぼ1000年を記念して?、源氏物語がデザインされています。
 まず右下に紫式部。女性が紙幣になるのは非常に珍しいことで、かなり話題になりました(それまでは神話レベルの女性だけだった)。絵は、『紫式部日記絵巻』から。
 左半分を占めているのは、『源氏物語絵巻』の鈴虫の場面から。詞書きも重ねて描かれています。「吹き抜け屋台」「引目鈎鼻」といった絵巻物の学習ポイントが確認できてありがたいにはありがたいです。

 もっとも、この場面はちょっと問題(^^;です。左が冷泉院で右が光源氏なのですが、この二人は実は"人には言えない親子"なんですよね。光源氏が父桐壺帝の後宮の藤壺女御と関係して生まれたのがこの冷泉院だからです。互いに親子の名乗りを上げられないまま対面しているこの場面は、ドラマとしてはなかなかいい場面ですが、作り話とはいえ天皇家の不義を象徴するシーンを紙幣にしてしまっていいのかい、とは思います。
(なお絵巻の人物のどれが誰にあたるかは、別の説もありますが、これは財務省の見解です)

 ご存じのように、この紙幣はあまり流通していません。サイズがやや小さくて安っぽく感じたこともありますが、やはり自動販売機に入れられなかったことが大きかったのでしょうか。
 もっとも、こういう点は最初から分かっていたことで、記念紙幣にすれば良かったのにと、当時から言われていました。紙幣制度の難しさ、巨額の国費を使っての失敗事例として、教材価値もあるように思います。

※偽造防止機能は、この時からなかなかのものです。当時、それを解説するリーフレットも配っていましたし…。
 私も、 1部だけ保有しています。 財務省のhpにも掲載されています。(http://www.boj.or.jp/money/money_f.htm)

 



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