地券(その2)



     イ   ウ

 地券に書かれた年次は上の3つです。
 アの明治七年は、ズバリ、地租改正制度の年ですね。
 イの明治九年は、この地券が(持主の新堀善作さんに)実際に発行された年です。この年の地租は3%だったはずです。 
 ウの明治十年は、地租が2.5%に減額された年であり、そのことを記入しているのがこの箇所です。
 以上から、この地券は、明治7年の地租改正によって明治9年に発行され、明治10年に地租が減額された時にその旨を追記したもの、ということが分かります。

 さて、実物を見ればすぐに分かるのですが、地券には手書きの部分と版の部分とがあります。定型ですむところは版ですませ、個別の箇所が筆で書き入れられているのです。
 そこで、画像をもう少し詳細に検討してみましょう。
 これは地券のほぼ中央、上のウのすぐ下、新旧の地租額が併記されている部分の拡大図です。

  まず版と手書きの違いですが、図中の青線エ・オが境になっているのが分かります(線エの上の「金」は左下が切れていますし、線オの上は墨がかすれています)。内容からしても、線オの上は旧地租、線エの上は新地租で、金額の先頭にあつける「金」までが版であり、その下の金額部分が手書きだったことがわかります。

 次に手書きの部分ですが、この画面の中に「貮」が3つあるのに注目しましょう。版で押したカはともかくとして、同じ手書きでもキとクでは筆跡が全然違うのがよくわかります。これは、キとクが同時に書かれたものではないことを示します。

 つまり、この箇所に最初に書いてあったのはオから上の版の部分であり、次にそこにオから下の数値が手書きで書き込まれ、さらに明治10年の改正を受けてエから上が改めて版で押され、その下に新しい地租がやはり手書きで書き入れられた、という経緯が読みとれるのです。

【おまけ】 この地券のウラには、この土地が明治13年に同じ村の「米谷栄之助」さんに売り渡されたことが書かれています。さらに、この「米谷栄之助」さんに所有権が移った別の地券があります。この辺りの事情について、なかなか面白そうなのですが、これは次のページで。


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